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5.平成17年3月以降

  本来、編集者の意向は、ここが本命だったのだろう。しかし、何しろまだ7ヶ月である。それほど劇的な変化があったわけではない。しかし自分としては特筆すべき事項も少しあるのでちょっと紹介しておく。

5の1.家で飲酒を止めたこと

 私を知る人はまづ絶対に信用しないだろう。しかし、これは紛れも無い事実である。動機は、ずっと以前から会社勤めを止めたら必ず実行しょうと決心していたことである。しかし、外の交際の際は以前と何ら変わらずにグイグイ飲んでいる。だから、OB仲間は気がついていない。親戚の人は皆目を丸くしている。
 このせいばかりとは限らないが血圧がびっくりする位下がった。上も下もである。禁酒がだめなら節酒をお薦めする。禁煙は昭和時代からで珍しくないだろう。血圧が下がったのは、会社勤からの解放もあるかもしれない。自分ではストレスを感じていなくても何となくあったかも知れない。

5の2.筋トレの実行

 老人でも効果的と以前から知識としては持っていたが、近くに船橋市の体育館があり、このトレーニングコースに2日に一度は通っている。まだ効果の程ははっきりと出たわけではないが、少し体が柔らかくなった気がする。そのうち体力テストも受けて見ようかと考えている。

5の3.謡曲・仕舞

 無精者で趣味のない私にして見るとよく続いたと思われる唯一の趣味が謡曲・仕舞である。途中で途切れた期間もあったが、昭和31年頃から始め現在に至っている。中研の頃は止めていた。理由は「声が出ない」とあきらめたことである。
 千葉製油所に赴任してからも、すぐに着手せず、東京オリンピックの頃から再開した。出向期間は機会に恵まれず中断した時期もあったが、それらの事情も含めても内輪に見積もって30年間にわたる。
 ただし、謡は30年だが、仕舞の方は11年でまだ青二才である。謡の方は、観世流の免状もいくつか所有しているが、納金すれば誰でも貰えるのであまり自慢にならない。
 コスモ時代社内では発表の機会がほとんどなく、OBでも知る人はいない。中研では私が唯一の存在だったろう。また、やたらに人前で披露するものでもない。もう何十年の昔になるが親戚の結婚式で喜ばれたこともあるが、社内で目立ったことはない。思いがけない効用があるのでお知らせする。
 年齢に関係なく続けられることである。謡曲を100才過ぎても続けた例が新聞で紹介されていた。仕舞でも90才過ぎの人が舞台に登場することもある。船橋市では、近在の20人の集まりを世話しているが、7割の方が年上である。つまり私が若年輩なのだ。
 コスモ石油のOBでは、技術開発部におられたMさんがこのクラブの心強い助っ人であり。また船橋市の別の集まりでは、丸善石化のSさんとよく顔を合わせる。一時は市原市在住のグループに最近まで押しかけたこともある。ここでは計電のKさんが幹事であった。来年は、仕舞元年と決めて、片っ端から舞台に出てやろうと思い、早速1月に二度の機会を設けた。 意欲を燃やしている。

5の4.パソコン

昭和の終わりごろ、NECや富士通のワープロ専用機に親しむ機会があり、これが、一時は大変役に立った。コスモ籍を喪失してから自力で職を求めた時代があり、必死に なってワープロ専用機相手に苦戦したことがあったが、それを過ぎると元の木阿弥であまり活用もせず、ましてやパソコンともなると、機能が多すぎて、まるで世界が違 うのではないかと親しめなかった。心の底では、何とかしようと思いながら怠惰な使い方で、たまに、ちょっとした文章を書く程度で、これではワープロ専用機と何ら変わらないと思いながら放置していた。
 転機は、今年の4月、つまり完全リタイア後である。まづ、手はじめにパソコン教室に通うことにした、とくに動機というものもなく、暇つぶし程度に考えていたが、自分の周りが一変するとは毛頭考えなかった。教室も自分が一番年寄りで足手まといになるのではないかと恐れながら門をたたいた。
 ところが、似たもの同士というか、かなり年配の組に遭遇した。習っている最中にも応用できることは、即刻応用した。つまり平凡かもしれないが、葉書を書いたり、名簿を作ったり、写真のシールを孫に進呈したりである。とにかく、習ったままで放置するのは良くないので、貪欲に応用した。
 この原稿もメールで毎日作っている。メールと言えば、メル友をかなり増やしている。強引に、文章を突然送りつけることもある。相手が戸惑ったこともあるかもしれない。別に返事は期待していない。謡曲の友達はさすがに少ないが、母校の謡曲部のOB会はPC通信が常識である。若いのに頑として使わない人もいるにはいるが。

5の5.その他、今凝っているもの

 趣味とはっきり胸を張っていえることではないが、クラシックのCDを買ってきてPCで楽しむことが増えた。クラシックは昔から聴くことが大好きな一方で、講釈を垂れたりするのは不得意である。音楽は、とにかく聴いて自分が良いと思ったらそれでよいと言う主義を貫いている。とくにオーストリアのウィーンをめぐる名曲の数々ははまり込んで何年になるのだろう。
 プロシアとの戦争に敗れた国民を慰めた「美しき青きドナウ」など、オーストリア国民だけでなく、世界中を慰めているではないか。実はクラシックについては、何年も前から人一倍LPのレコードを貯めたが、一挙に廃物の時代になってしまった。今でも、家においてあるが活用の方法がない。専門家に見てもらったが、カビが生えて使いものにならないとのこと。薄給時代から貯めただけに惜しい気がする。
 しかし、PCでCDが楽しめるようになって考えが変わった。百円ショップでも良いものがある100枚買って1万円であり、こんな安いものはない。音質がどうのなどという気持ちはさらさらない。毎日聞いて楽しんでいる。PCでは曲名が明確に示されるのと画面に幻想的な模様が出てくるのが美しい。ウイーンのことだが何年か前、シェーンブルン宮殿であまり手を叩きすぎて真っ赤に腫れ上がったことも懐かしい。

6.さいごに

 何度でもいうが、読み返して見て、よくも駄文を書き続けたものだと自分でも呆れかえっている。文章はもちろん下手だし、編集者がさぞ苦労するだろうと思う。ただ、収穫が一つある、自分史を書くことは有意義だということである。どんな人生でも振り返って見る価値がある。もっとも、世間に顔向けできないような人生は全く別だが。
 以前のことだが、小学校時代の親友に頼まれて、自分史を書いたことがある。このときも最初は気持ちの中に抵抗があったのは確かである。書いた友達はわずか17名。必ずしも順調な人生を送ったといえない方も投稿されたが、そのほうが迫力があった。生き様に感動した。
 さて、自分自身のことだが、人に感動を与えるとはとても思えない。しかし、これで終わりたくない気持ちもどこかにある。せっかく書いたので、もう少し、手を加え肉付けして自分史として子供や孫に読んでもらいたいというのが願望である。おわり
 
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