<近況報告へ戻る>


小薮 巌

・出向先での思い出

  喜寿を迎えたのを機に、77年の人生を振り返って見ようと考え、パソコンをいじっているとコスモ交遊会広報のメールが入り、近況報告云々文字が目に入った。近況報告を開いてみたことがきっかけで以前投稿した「簡易ガスってなに?」を読み返してみて訂正、加筆が必要と思い、差し替えをお願いしたが・・・続編として投稿することとなった。
  私の場合、合併と同時にLPガス関係の特約店(富士ツバメ(株))に出向となったので、コスモでの最初の仕事は出張旅費等を清算しただけであった。合併とは1+1=1.5とすることが本分であり、おれも余剰人員の1人かと思った次第である。2年半余遠州浜松で苦労した後、コスモ石油ガス本社販売促進部へ戻り、9ヵ月在籍後、(社)日本簡易ガス協会へ出向、コスモ石油ガス退職後もそのまま66歳余まで協会に居座り、15年余のガス村での勤めを終え、毎日が日曜日となった。
  よってコスモ石油に関しては、出向先からコスモ石油ガス本社の販売促進部に帰り、9カ月勤務しただけなので、コスモ石油での思い出は何も浮かんでこない。丸善石油入社以来、48年余サラリーマンとして勤務してきたわけであるが、印象深いのは遠州浜松で苦労したことと日本簡易ガス協会に出向し、以来13年余の長きにわたり簡易ガス事業に携わったことであろう。

1.富士ツバメ(株)でのこと
  遠州浜松の特約店富士ツバメ(株)では、ご存知のように特約店主が法律であり、何事もイエスマンで無くてはならないのにメーカーであるという潜在意識が知らず知らずに態度に現れ、不評を買うことが多々あり、出ないようにコントロールするのに苦労した。特約店では店主とその姻戚関係及び部長以上が人間扱いされるが、それ以下はごみである。幸いコスモの実績等が評価され浜松支店長として勤務することができた。LPガスの販売は初体験であったので、まず、資格を取得しなければLPガスを扱えないので、販売2種と丙種化学の資格を取得した。
  LPガス販売では一般常識で考えられない商習慣がある。それは各戸へのガスの供給権を消費者不在(何の相談もなく)でガス供給事業者が売り買いすることである(1件○○万円程度)。また、これを仲介するブローカーも存在する。お客(消費者)が供給先を選ぶのは当然のことと思うが、この業界では普通に行われている。従って供給権を買っても供給先を選ぶ消費者もあり、その歩留まりは○○%程度といわれている。また、個別の売り買い、バーター等もあり、末端の競争はお客不在で激しく、“おい!面が割れたぜ”と言われたのもこのころと記憶している。また、新規物件では工務店へのアプローチが激しく、給湯機の無償提供、1件当たり○○万円等のプレミアム付きは常識、など激しいものであった。
  お客の獲得合戦は激しいものの、談合しているわけではないが、末端価格については値崩しをしないというのが暗黙の了解事項であり、守られていたガソリン価格のたたき合いを目の当たりにして“ガソリンの様にはなるまいて”というのが合言葉でLP業界の賢明な判断であると感心させられるところである。
  さらに、営業社員が直接集金する場合が多々ある。振り込み、引き落としなど銀行決済にすれば良いし、推進もしているが・・田舎では集金に行ってお茶をごちそうになり、話が弾んで物品を販売してくるというメリットもあり、直接集金を残している場合が多い。然しながら中には悪い営業社員もいて複数のお客様から集金した金を経理に納めず、あそこは支払いが悪いからと2、3カ月遅らせ、その間着服する。自転車操業がうまくゆかず、結局ばれることになる。珍しいことではない様であるが、驚いたのも事実である。

また、お客様の供給権を内緒で売り、小遣いにしている灰色社員も存在する。この営業社員は新規獲得も多く、営業成績もよいことから、なかなか尻尾は掴ませないし、掴めない場合も多い。世の中いろいろ、これがガス屋の暗部といえるのではないか。

  販売とは売りっぱなしではだめで集金して終了となる。ガスの場合、先に供給し、あとで検針・集金となるので需要家が多いガス屋は集金が重要な仕事となる。優良需要家ばかりではないので、集金率は100%とはならない場合が多い。下手をすると売り上げあっても銭足らずとなった販売店もあったと記憶している。卸、工業用も扱っていたが、小売の激しさも体験させられた。
  当初は、ここで骨を埋めても・・と考え努力したつもりであったが、だんだん考え方の相違が顕著になってきて2年半余でコスモ石油ガス本社の販売促進部に戻ることとなった。

  数年後、ガス事業法改正等でLPガス販売に関して影響のある改正があったので、当時簡易ガス協会の副会長で静岡県LPガス協会長であったT社F社長に要請され、専務理事は静岡、沼津、業務部長の私は浜松、榛原会場で約2時間余講演をした。会場には旧知の顔がちらほら演壇の私の顔を見てニコニコしていたのを懐かしく思い出される。

2.(社)日本簡易ガス協会(現在;日本コミュニティーガス協会)でのこと
  日本簡易ガス協会への出向は、言いたくないが、当時のコスモ開発の人事部がかなりいい加減で、協会での受け入れ態勢、待遇等も明確ではなく、余剰人員を放り出すことのみを本分としており、ろくに調査もせず放出先があればどんどんはめていたのも事実である。
  協会での待遇はあまり居心地のよいものではなく、遠州浜松で苦労した傷痍軍人にはこたえた。何度も会社を辞めようと思ったのもこの時期である。
  まず待遇であるが、コスモでの実績等が全然評価されず、29高卒の評価である。公益事業の知識がなかったこともあり、業務部のお手伝いさんから始めたわけであるが、役所流の滅私奉公を徹底的にたたき込まれた。当協会は専務理事を始め要職の大半を役人の天下りで占められており、その雰囲気、仕事のやり方は役所そのものといっても過言ではない職場であった。勿論経産当局との折衝が主な仕事であるからそうなるのが自然なのかもしれない。

  役所というところは、科挙に合格したキャリヤー官僚、ノンキャリヤー官僚で構成されているが、○○年入省○○大卒で身分が決まる。協会も同様の役所流で○○年入所○○大、○級○号職で決められていたからコスモ石油等の実績は評価されず、29高卒という情けないスタートとなった。
  然しながら負け犬になりたくなかった私は猛烈に公益事業・ガス事業法等いろいろ勉強努力した結果、約5年で業務部長に昇進した。委員会・分科会等も任され、協会でbQの居心地の良い地位を勝ち取ることができた。おそらく我が人生で一番真剣に猛烈に勉強したと自負している。

  仕事のやり方で最初に経験し今でも印象深いのは、発信文章で相手を拘束するものは上司に厳しくチェックされる。中でも面白いのは、テニオハ、句読点などを赤鉛筆で指摘することが多々あり、その発信文書がかえってくる。最初はあまり重要なことではないとの判断でその文書を破棄し、清書した文書で許可をもらい、文書を発信して、その文章を発信簿にファイルしておいたら叱られた。「赤鉛筆で指摘した文章はどこにあるのか、何故発信簿にファイルしないのか!」である。あとでよく考えてみるとそれを残すことで上司が仕事をした証拠を残しておく必要があるためである。すべてがこれに近いやり方は役所流であると気づいた次第である。

  経産当局ではご存知のように人事評価は減点主義であるため、傷がつくと昇進に差しさわりがあるため、よほどのことがない限り責任を取らないようにしている。よって“前例による”が仕事の中心となる。うまく持ってゆかなければ改正・改革されることはない。たとえその案件が現状に合わないことであっても、それを決済した人が現役の局長等である場合は、その先輩に傷がつくから等の理由でほとんどの場合通らない。
  ほとんどの要望書には協会が責任を取る旨明記し、担当班長には責任がないようにしなければ班長の机の引き出しに眠り続け、課長に上がらないことになる。
  案件によっては議員秘書を使って圧力をかける場合もあり、また、商工部会の議員さんにもお世話になる場合もある。
  担当班長が変わると前任の班長に提出した案件は全部没、1からやり直しで案件は引き継がない場合が多い。

  担当行政官は、通達、指導要綱等に基づき仕事をしている。その判断材料にしているのが公益事業例記集である。厚さ十数センチのB5判で2冊(毎年追加されてゆく)あり、法、通達の解釈、ガス事業法で問題となった案件の事例及びその解釈等が列挙されている。これらを頭に叩き込んでおかないと仕事にならない。
  通常、通達により行政が行われているが、通達は法律ではないという事実に基づき、関東経産局相手に訴訟をおこし、喧嘩した事業者がいて東京地裁で数回傍聴させてもらった。役所相手の喧嘩であるので、まず勝てないが、マスコミがたたいた為、のちの供給区域等に関する法改正に役立ったことも事実である。
  
<近況報告へ戻る>