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小薮 巌

  1.はじめに

 「簡易ガス」って?・・よく聞かれます。ガス関係者はともかく、石油系の皆様には馴染みのないものでしょう。実は私も知らなかったのだ。
 今年2月に古希を迎えたのを機に、簡易ガスとの出会いも含めて過去を振り返ってみた。入社以来中央研究所で20余年過ごし、確か40歳から潤滑油部落に転勤、10余年お世話になり、その後合併と同時にLPガス関係の特約店(富士ツバメ(株))に出向、2余年半遠州浜松で苦労した後、コスモ石油ガス本社販売促進部へ、9ヵ月後(社)日本簡易ガス協会出向、コスモ石油ガス退職後もそのまま66歳まで協会に居座り、15余年のガス村での勤めを終え、毎日が日曜日となった。
 丸善石油入社以来、48余年サラリーマンとして勤務してきたわけであるが、印象深いのは遠州浜松で苦労したことと日本簡易ガス協会に出向し、以来13年余の長きにわたり簡易ガス事業に携わったことであろう。 コスモ石油に関してはコスモ石油ガス本社の9ヶ月しか勤務したことはなく、日本簡易ガス協会への出向は当時のコスモ開発の人事部がかなりいい加減で、協会での受け入れ態勢、待遇等も明確ではなく、まるで猫の子を放り出すようなやり方で・・・・今でも思い出すと腹が立つ。人事とは、"ひとごと"と読むのだとつくづく思い知らされた。
 これはその後ある人物から話を聞いて分かったことであるが、当時のコスモ開発は余剰人員を放り出すことを本分としており、ろくに調査もせず放出先があればどんどんはめていたのも事実である。 協会での待遇はあまり居心地のよいものではなく、遠州浜松で苦労した傷痍軍人にはこたえた。何度も会社を辞めようと思ったのもこの時期である。
 しかしながら、負け犬になりたくなかった私は猛烈に公益ガス事業等いろいろ勉強し努力した結果、協会での意心地のよい地位を勝ち取ることができた。おそらくわが人生の中で一番真剣に猛烈に勉強したと自負している。したがって、丸善石油にはお世話になったが、コスモ石油は給料が振り込まれるだけの存在で良い思い出もなく、親しみも沸いてこないのは事実であった。これは、当時の会社の人事に対して腹を立てていることなので、誤解しないで頂きたい。古希を迎え、過去を振り返ってみた時に出てきたもので、最近ではこだわりもなくほとんど忘れていたのも事実である。昔からの仲間とは当時より何のこだわりもなく、楽しくお付き合いをさせてもらっている。

  2.簡易ガス事業について

 簡易ガス事業、通称「マル簡」という。都市ガス(一般ガス事業)は「マル一」、LPガス事業は「マルL」という。役所が言い出した業界用語である。「マル簡」は、一般的にはあまり馴染みのない事業であろう。馴染みがないといえば私の姓もポピュラーなものではないので、日常茶飯事であるが、馴染みのないところにも電話をする、もしもし「小藪です」というとたいていの場合「え・・!」となる。小さいヤブ蕎麦のヤブだと言うとわかる。少しむかつくね。同じように「簡易ガス協会です」と言うとやはり「え・・!」が多い、簡易保険の簡易だというと理解する。ガス関係者は別として一般的にはおそらく知名度が低いと思うので、この際、皆様方に知って頂くために以下詳しく説明したいと思う。
 簡易ガス事業とは、都市ガス同様公益事業であり、ガス事業法で事業規制されている。事業形態は、比較的規模の小さな団地などに導管により、主にLPガスを供給する事業のことである。
 同様に、都市ガス事業とは許可された一定区域に導管により、主に天然ガスを供給する事業でガス事業法で事業規制された事業である。また、LPガス事業は主にボンベに詰めたLPガスを戸々に設置し、供給するガス事業で保安のみの規制で事業規制はされていない。
 簡易ガスは比較的小規模というが、最小70戸のアパートなどから1000戸を超える団地は361箇所あり、その最大は7828戸の北海道の千歳と札幌の中間にある北広島団地であり、簡易ガス事業全体では合計7877団地(約200万戸)である。都市ガス245社での最大戸数は東京ガスの881万戸と大規模であるが、最小は山形県の寒河江ガスの953戸、これを含め112社が北広島団地より小さな都市ガス会社である。
 一般家庭用ガスの全国約5000万世帯への供給は都市ガス事業(正式名は一般ガス事業)が50%弱、LPガス事業が50%弱、簡易ガス事業は約4%であり、ガス業界ではシェアー的には小さな存在である。 事業者数は、都市ガス245社、LPガス約3万社、簡易ガス事業1778社であり、その大半は都市ガス・LPガス事業者との兼業である。
 簡易ガスの供給形態については、ガス事業法の第2条の3項に「一般の需要に応じ、政令で定める簡易なガス発生設備においてガスを発生させ、導管によりこれを供給する事業であって、一の団地内におけるガスの供給地点の数が七十以上のものをいう」と規定されている。都市ガスでは、市、町、村、字という区域に導管により供給するが、簡易ガスでは決められた地域(○○団地など)に都市ガス同様導管によりガスを供給するというもので、簡易ガスというより団地ガスといった方がわかり易いのではないかと思う。
 簡易ガス事業の歴史について述べると、昭和30年頃から石炭産業の衰退とともに家庭用燃料としてボンベ詰のLPガスが広く使われるようになってきた。それに伴い70戸以上のLPガス小規模導管供給(現在の簡易ガス事業)が多数できてきて、LPガス事業者と当時の都市ガス事業者との間でガス供給の在り方について様々な議論が展開されるようになった。LPガス事業の伸びに脅威に感じた当時の都市ガス協会会長の安西天皇(東京ガス社長)が役所に働きかけ、昭和45年の第63国会に上程し、LPガス小規模導管供給事業を簡易ガス事業として、ガス事業法の中に取り込んで規定し、自由勝手にできないように規制をかけたといわれている。簡易ガス事業のそのほとんどが、都市ガス事業者とLPガス事業者の兼業である。都市ガス系では、東京ガスエネルギー、リキッドガス、東邦LPG&コーク、西部ガスエネルギー、北ガスジェネックスなど、LPガス系では、日本瓦斯、ザ・トーカイ、ミツウロコ等々ガス会社では大手が大半である。
 簡易ガス協会は、本部と北海道から沖縄まで経産局のある県に10支部総勢40名の小さな協会であるがガス業界では無視できない微妙な存在であるので、それなりのポジションを与えられている。
 私の協会本部での仕事は、主に理事会、委員会の事務局である。特に料金、経理、需要促進、原料費、税制関係などを審議する業務委員会を任されていた関係から、都市ガスとLPガスの争点である小規模導管供給事業の簡易ガスでは、必然的に理事、委員は商売仇同士のガス大手企業の幹部の集まりである。そこでは各地区での共通の競合相手である電気対策、ガスの需要促進に関する情報交換はいいとして、本音と建前が交錯し、水面下でのすざましい戦いが時々顔を出す。したがって、○○寄りなど偏った考え方、発言はできないなどバランス感覚が必要で、やり難い面は多々ある反面、非常におもしろいところであった。
 後述するが、ご多分に漏れず規制緩和の波にさらされ、過去3回法改正が行われ、それに伴う仕事がグーンと増えたことなどにより体力的に限界を感じて退職したが、世の中、平穏無事であれば協会というところは、会社のような利益追求の場ではなく、業界が儲かっていれば比較的暢気に過ごせるいい職場である。
  
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