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  東日本大震災から2年が経った昨年5月の連休、文化放送のヘビーリスナーで、ツイッター繋がりの連中が集まる機会があり、ラジオパーソナリティーで画家としても活躍する吉田照美の絵画の無償吉田照美絵画展A提供の話しがきっかけとなり、「東日本大震災復興チャリティー“私たちの”吉田照美絵画展流山市から相馬市へ」の開催について具体的な企画を作成することとなった。
照美絵画展準備   当初は「ラジオリスナーによる」「ラジオリスナーのための」「震災復興チャリティー絵画展」を小さなギャラリーを借りて開催する予定であったが、私たちの趣旨吉田照美絵画展Cに賛同して無償提供の申し出が次々と現れ、夏が過ぎた頃には30点以上に膨らみ、当初計画したギャラリーでの開催は困難となり、大きなギャラリーを借りての開催は私たちが考えていた負担をはるかに超えることが判広報絵画展案内明、開催自体が挫折の危機となった。
  絵画展の開催の危機を迎えていた頃、井崎流山市長から「姉妹都市である相馬市への震災復興支援であるのなら支援したい」との話があり、それを契機にトン・トン拍子に事が運び、照美絵画展準備 会場となる流山市生涯学習センターの展示ギャラリーの提供、パンフレットの作成、市広報誌によるPR、会場の設営等、運営費の大半を賄っていただいた。
  一方、絵画展の実行委員は「ラジオ繋がり」で「ツイッター繋がり」という「ゆるい仲間」であり、福島県や群馬県から静岡県まで多士済々の28人、震災復興チャリティーには賛照美絵画展準備成するが流山市と関係ない人が大半で、流山市の姉妹都市である相馬市へのチャリティーに快く思わない人もいて、毎月1回、休日に開催する実行委員会も喧々諤々で10時間近くも話し合ったこともあった。
  開場を翌日に迎えた3月3日、無償提供を受けた37点と、吉田照美自身が出展した2点の吉田照美絵画展最終日絵画の飾り付けも終わり、100個近くのスポット照明は自分たちで天井に取付け、チャリティー用の段ボール募金箱と、地元女性ボランティアの手作り「エコたわし」500個も準備完了。
  絵画展初日は、平日にもかかわらず開場早々からお客さんが入り始め、当初心配していた入場者数も初日から150吉田照美絵画展D名近くで大盛況に。
  特に、吉田照美のトークショーを催した日曜日には、遠くは大阪や富山などから熱狂的な吉田吉田照美絵画展最終日照美フアンが大勢駆け付けた。
  また、福島からTV生中継が終わって新幹線で駆けつけた唐橋ユミさんや、サプライズゲストの畑中葉子さんが生バンドをバックに「カナダからの手紙」などを熱唱するなど、絵画展イベントとしては異例の350名を超える来場者で嬉しい悲鳴。
 相馬市役所訪問 絵画展期間中、流山市長をはじめ議会や市役所の皆様、政治評論家の上杉隆さん、娯楽映画研究家の佐藤利明さん、人気アナウンサーや放送作家等々、多彩な来場者を迎えることが出来、期間中の来場者は予想を大きく超える2,500名となり、東日本大震災復興チャリティーに寄せられた募金、エコグッズの売り上げ、実行委員会費の残額等の総額57万円余りについては、3月末に相馬市役所を訪問し、副市長や教育長ら出席のもと贈呈式を吉田照美絵画展最終日行い「震災被害子供育成基金」に全額繰り入れた。
吉田照美絵画展PM  何はともあれ、イベント企画会社に頼らず、電波繋がりの素人集団が「東日本大震災復興チャリティー“私たちの”吉田照美絵画展流山市から相馬市へ」を開催するという大冒険は、大勢の皆様から支援を受け大成功で終わることができた。
  30名近くいた実行委員も最後には23名となったが、ラジオやツイッターといった電波繋がりだった「ゆるい仲間」に熱い血が通い始め、2年後の震災5周年に向け新たな企画を検討することになった。


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