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  東日本大震災から3年が経過した平成26年4月26日に、流山市に緊急避難しているWさんの一時帰宅に同行した。今回5回目の訪問となるが、著名な放送作家のKさんも同行し、原発事故が地元にどのような影響を与えているのか、マスコミ人の目で見てほしいとお誘いした。 早朝、流山を出発し常磐高速を北上、大震災および原発事故の影響で広野IC以遠が通行止めになっていたが、修復や除染が進み富岡ICまで開通している。
相馬訪問@
 富岡ICに近づくと、空間線量を示す表示盤が設置されていて2.82μSV/hを示し、警戒区域が近づいたことを実感させられる。
 以前は比較的自由に車で通過できた帰還困難地域の大熊町や双葉町などの市街地入口にはバリケードが設けられ、国道6号以外は通行できなくなっている。
 浪江町請戸小学校訪問A
 今回の福島訪問目的の一つで、原発事故発生当時マスコミでも大きく取り上げられた吉沢さんが経営する「希望牧場・ふくしま」を訪問。
 当時、国から牛の強制と殺を通告されたが、国の政策に異議を唱え、近隣の牧場から餓死寸前の牛を引き取り、福一原発の排気筒が遠望でき、皮肉にも福一原発から関東に電気を送る送電鉄塔が立つ広大な牧場で300頭を超える牛たちを放牧し続けている。
川船氏と福島訪問@
 吉沢さんの牛への想いと、国や東電に対する不信感について1時間近く話し合い、放射能汚染され肉牛として出荷できず、経営的には全く立ち行かないが、全国の支援者からの援助と、個人の蓄えを元に、夜間立ち入り禁止となっている牧場内に寝泊まりしながら牛たちと被曝覚悟で一緒に暮らしている。
 国は、一刻も早くと殺し、土中埋設処分を求めてくるが、吉沢さんは証拠隠滅のためのと殺と土中埋設処分と考えている。
 放射能汚染された牧場で、放射能汚染された地域で刈り取られた牧草で育った牛たちは「生き証人」ではなく「生き証牛」であり、「最後の一頭まで見届け、放射能が生物に与える影響について疫学的な検証をしたい」
 川船氏と福島訪問A と吉沢さんが熱く語った。
 ブラジルに渡り獣医として暮らしていたH氏も吉沢さんの意志に魅かれ、牛たちの面倒を見ているが、福一原発事故以降、牛たちに過去に経験したことのない変化が表れているという。その他にも、ボランティアの人たちや、放射能除染研究のため広島の大学と牧場を自費で往復する学生等、決して安心できる環境ではない牧場で、みんなが何かに向かって黙々と働いている姿に感動さえ覚える。
 牧場を後にWさんの家を訪問、家の周りの放射線量を測定、屋根の雨水が流れ込む場所の線量は8.5μsV/hと、当初から1/3程度になったとはいえ人が安心して住める状況ではない。相馬訪問B
また、隣の田畑に地震で起きた幅10m程の亀裂が走り、Wさんの家屋は、肉眼ではわからない
 川船氏と福島訪問B らないが専門家の調査で若干傾いているそうだ。
 それに加え、実家から100mほどの場所に除染で出た汚染土の「仮・仮置き場」ができるとのことで、自然豊かな里山の故郷を捨て去る決断を早々に迫られそうだ。
 昼食時になったが、ここでは当然のことであるが食事をするようなお店はなく、今回も昼食抜きで、持って行ったスナック菓子で済ませることになった。
 震災後、昼間5時間の滞在が可能になった南相馬市JR小高駅前で、いち早く開店した「かとう理髪店」を訪問、復旧・復興のシンボルとして遠くの避難先からもお客が訪れた。
 理髪店を開店したものの水道の復旧が昨年末、それまでは避難先からポリタンクで水を持ち込み、水がなくなれば閉店するという状態が長く続いたそうだ。
 また、NHK仙台が理髪店を取材に訪れていたが、我々が取材クルーを逆取材してしまった人の通りがほとんど見られない小高駅前のロータリーで、若い人たちが花壇の手入川船氏と福島訪問C
れしていた。聴くと、隣町の相馬市の青年たちで「小高から避難している住民が、自宅の復旧に戻ってきたときに元気になってもらうために出来ることをやっているだけ」
 川船氏と福島訪問E と話していた。
 地震に続く津波で大きな被害を受けた浪江町請戸地区を訪問、ここは福一原発の排気筒から3Km程の所で、放射線量はそれほど高くはないが立ち入りが厳しく制限されており、事前に申請・許可を得ていないと立ち入りができない。
 1階が津波で破壊されてしまった請戸小学校を訪れたが、卒業式を明日に迎えた3月11日大きな地震に襲われた。
 津波が来る恐れがあると判断した校長が、下校した1年生を除き生徒全員を集め、徒歩で2Km先の高台に避難し教師を含め全員が助かった。
 請戸小学校の体育館では卒業式の準備が整っていた状況が今も残り、津波が襲った午後3時37分を指したままで時計が止まっている。
 止まっているのは時計だけではなく、ここでは、3.11から時も止まったままだ。請戸小学校を訪れるのは2回目、前回もそうだったが、ここに立つと涙が流れて止まらない。 
川船氏と福島訪問J
 請戸地区は、請戸港を中心に魚市場や美味しい海鮮を提供する食堂、それに旅館や民宿で賑わっていた。一緒に行ったWさんも海産物を買いによく通った街だったと話すが、350戸の部落を津波が襲い、大勢の人命を奪い、壊滅状態となった部落は荒涼とした荒野に変貌してしまった。
 放射能汚染で運び出せないのか瓦礫と化した車両が
 川船氏と福島訪問F 山積みされ、港から津波で打ち上げられた漁船が何十隻も当時のまま放置されている。
 福一原発に近く、空間放射線量が常に高いと言われている大熊町夫沢地区、前回訪問した1月27日の国道6号側溝の線量が、雨上がりだったこともあり82.9μsV/hと非常に高い値を示した。
 相馬訪問C
国道6号線の通行に許可が必要なくなるとの情報もあり、一般国道でこの放射線量は異常で、徹底的な除染した上で、通行規制解除すべきと思うが・・・、今も福一原発から相当量の放射能が排出されているのではないかと危惧をする。
 ここで立ち入り禁止区域を出て、昼間のみ立ち入りが許されている、立ち入り制限地区の常磐線JR富岡駅を訪問。
 富岡駅は海岸から1Km足らずにあり、津波が直接襲い駅舎は全て破壊された。構内の
 川船氏と福島訪問K 路線には雑草が茂り、流されてきた自動車が路線上に放置されている。
 相馬訪問A
ホームの上の駅名表示版が破壊され、津波の高さは地上から6m近くあったのではないかと思われる。
また、駅前の民家の座敷には、津波で打ち上げられた軽トラが鎮座している。立ち入り制限地区になっているとはいえ、3年経過した未だに当時のまま復旧もされていない姿に唖然とする。

「訪問後雑感」
 福一原発事故により、避難している人の一時帰宅に同行するのも今回で5回目となったが、ここと同じように地震や津波被害を受けた宮城や岩手では、十分とは言えないが復旧が進み、復興に移っている地域も多くある。
 しかし、ここでは復旧の鎚音もなく、人の営みもなく、子供が遊ぶ歓声もなく、非常に悲しいことであるが行方不明者の捜索すら十分に出来ず、3.11当時の姿を晒している場所も多くある。
 避難している人たちも、家に帰っても放射能汚染されて荷物すら持ち出すことすら出来ず、盗難にあい、野生動物に荒らされ、朽ちていくのを待っているだけとなっている。
 原発で一度重大事故が起きれば、住み慣れた故郷を奪われ、生活の糧であった田畑や、里山や、山林や、豊だった海までも奪われることを、福一原発事故が証明している。
 政府は、停止中の原発の再稼働を進め、海外への原発輸出に積極的になっている。日本を豊かにしてきたといわれる原発で事故が起き、すでに8兆円を超える国費をつぎ込むことを決めているが、広大な帰還困難地域の国有地化を検討しなければならない状況を考えると、これからどれほどの国費が必要になるのか予想すらできない。
 福島の現実を目の当たりに見て、日本国民は一度立ち止まり、冷静になって原子力利用の将来を考える必要があると思います。   



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