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 東日本大震災により大惨事を起こした東京電力福島第一原子力発電所事故から1年8ヶ月が経過した11月25日(日)、避難区域となっている南相馬市、飯館村、浪江町、双葉町、大熊町を、今年3月に続いて再度訪問した。
 今冬一番の冷え込みとなった早朝3時30分に流山インタを入り、同二本松市立平石小学校跡地避難所行させていただくWさんと応急仮説住宅案内図 待ち合わせ場所の二本松市立平石小学校跡地の避難者住宅へ。
 7時45分避難所に到着。少し早く着いたので併設されている自治会館で、いかにも気の良さそうなおばさん2人と雑談、地震に津波、それに続く原発事故により緊急避難せざるを得なくなった当時の様子、転々と避難所を移動し、やっとたどり着いたここの避難住宅、自宅と異なり非常に狭いプレハブ住宅で、何とか避難者が快適に暮らせるように頑張っている様子など、話を聞いていて涙が出そうになった。何にしても、「私達のことが、世間から忘れられることが一番さみしい」と話す言葉に、一抹の寂しさと、無念さを見たような避難住宅気がした。
 Wさんが到着、若い頃お世話になった伯父さんと叔母さんが、浪江町の自宅に一時帰宅することになり同行させていただくことになった。避難所から浪江町の自宅までの最短道路が封鎖されていて、峠を越える迂回道路で約1時間。道路は補修されているとはいえ、地震の影響で随所に段差がある峠越えは年寄りには結構きつい行程となった。途中、Wさんが若かりし頃、彼とデートに通った山間のおしゃれな喫茶店「ふぁーむ」も雑草が生い茂禁止区域立ち入り許可所り無人となっていた。
 浪江町は立ち入り禁止区域、国道6号線で警察官から立ち入り許可証を提示、ショッピングセンターの駐車場が立ち入りのための手続きエリアとなっていて、防護服と放射線積算計が貸与される。防護服は車から出るときに着用し、乗り込むときは脱ぎビニール袋に入れるように指示された。
 早速、伯父さんの実家へ、Wさん伯父の実家庭にはたわわに実った柿の実が、収穫もされず、鳥にも庭先の放射線量食べられず残っている姿に「鳥にも猿にも食べられていない、人間よりあいつらのほうが賢いな」と話す。庭先で放射線量を測ると34.94μSv/hと相当高い値を示した。年間被爆量が約300mSvにもなり、ここに帰宅して生活できる状況ではない。WさんWさん伯父の実家2のご好意で、東京電力福島第一原子力発電所近く、特に、双葉町の市街地と津波で双葉町寺松公民館看板甚大な被害を受けた請戸地区まで行くことになった。
 途中、双葉町寺松公民館のモニタリングポストは2.843μSv/hを表示していた。3月に訪れた時に、津波に押し流された車両が何台も折り重な双葉町寺松公民館モニタリングポストっていた、国道6号小高地区のガソリンスタンドも復復旧した国道6号小高地区ガソリンスタンド旧し、営業していた。
 列車が走らなくなった常磐線のレールも錆び、線路内まで雑草が茂っている。それでも、一旦停止して通過する。
 ここからは双葉町の市街地、TVで有名になった原子力PRゲート常磐線の錆びたレールが空しい。
 メインストリート には人影もなく、復旧のために動く重機の音も常磐線の錆びたレール2ない。音のなくなった街とはこんなに寂しいのか、震災から1年9ヶ月も経つのにがれき撤去も手付かずだ。当時、相当あわただしく非難せざるを得なかったのか、壊れたお寺の山門も、散乱した洋服店の双葉町市街地風景店内も当時の姿を残したままだ。
 地元はもち双葉町市街地風景2ろん、近隣の子供が必ず行くという、「福島県原子力センター広報展示室」。Wさんも幼稚園の行事として行った。度々、子供向け映画の上映会が開かれいつも満員になっていたそうだ。勿論、無料上映会壊れたお寺の山門だ!!
 玄関に掲げられた「福島県原子力災害センター」の看板が何を意味しているのか、洋服屋の店内原発で事故が起きて無人の街となり、建物も廃墟となっている。ただ、放射線量を測定する装置は今も稼働し、「現在の空間線量率は3837ナノグレイです」と表示福島県原子力災害センターされていた。
 ここから少し足を延ばし、福島第一原発の正面ゲートへ。3月に行った時とはゲート周辺は様変わり福島県原子力災害センター2していて、周辺の樹木が伐採され、汚染水タンクが林立し、原発建屋は見られなくなっていた。
 大熊町夫沢2集会所のモニタリングポストに立ち寄った。ここは空間線量計が鉛板で遮蔽されていたとして最近話題となったモニタリン大熊町夫沢2集会所のモニタリングポストグポスト。やはり結構高い線量で19.23μSv/福島第一原発正面ゲート2hを示していた。ちなみに、25日文科省発表の夫沢3区集会所の空間線量は32.03μSv/hとなっている。
 ここ から海側に行き、津波で120名を超える死者・行方不明者を出し、街が消滅してしまった請戸地区を訪問した。見渡す限り荒れ地と化し、未だに請戸漁港から1Km近くも押し流された福島第一原発正面ゲート 大きな漁船数十隻が当諸戸地区建物 時のまま放置されている。ここにも震災後にモニタリングポストが設置され、空間線量は0.089μ Sv/hを示していた。
 大きな犠牲者が出た請戸小学校。道路の 大きな石はどこから来たのか、津波の 猛烈な威力を想像させる流れ着いた石
 様変わりした請戸の川辺に今年も白鳥が飛来して請戸小学校 きた、白鳥は様変わりし てしまった風景を見てどのように思ったのか、来 年も、再来年にも飛来してきてほしいと願う。
 貸与された積算線量計は、約5時間の立ち 入りで11μSvを示していた。3月の訪問時は8μSvであったが、今回は高線量場所に立ち入ったために被爆線量も 大きくなっていた。今回流れ着いた漁船 の当地訪問は3月に続い て2回目であるが、前回と同諸戸地区道路じ場所で測定・比較した放射線量は確実に低下している。でも、その数値は年間被爆限度値である20mSvを大きく超える場所も多くあり、広大な 土地の除染は現実的でなく、避難者が望む帰宅は何時になるのか、以前の生活を取り戻すことができるのか、被災者には先の見えない苦悩が募る。それに、TVや新聞で度々報道されている除染作業は、今回訪問した先々では全く見かけなかったことが非請戸の川辺 常に気になった。また、道路には牛の糞が至る所で見られ、野生化した牛が相当数放置されていることも確認できた。
 避難区域では、広大な農地が放置され、背丈を超える雑草が冬を迎え枯草となっている。これらの枯草に火が付き燃え広がると、消火活動もできず非常に危険で大惨事になる恐れがある。早急に対策を立てる必要があると思うが、立ち入り禁止区域でもあり頭の痛い問題だ。また、3.11東日本大震災で大きな被害を受けた宮城・岩手では、日々復旧作業は行われているが、ここでは原発事故の影響から、いくつもの街から人影が消え、復旧に向けた重機の音も、槌音も一切聞こえない。大臣の「死の街」発言が物議を醸したが、現下の状況を見れば誰も非難はできないと思う。
 原発で、一度重大事故が起きれば、この美しい日本の国土や海域が失われることを、東京電力福島第1原子力発電所の事故が証明した。それでも原発が必要といい、原発がなくなれば、国民生活も産業も立ち行かないという。本当に原発が必要なのか、本当に原発がなければ、国民生活も産業も立ち行かないのか。今、福島で起きている深刻な状況を理解した上で、一度立ち止まって全国民が真剣に考える必要があるのではないか。
 朝、避難所住宅の自治会館で聞いた「頑張って」とか「絆」で励まされる時期は過ぎ、「私達のことを、世間から忘れられるのが一番さみしい」といった一言が頭に胸に突き刺さって離れない。

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