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 東日本大震災から1年が経過した3月16日(金)、東京電力福島第1原子力発電所の20Km圏内を車で移動しながら現地訪問をレポートします。

 今回、どうして避難区域に入ることになったかと云えば、福島第1原発20Km圏内から私の住む流山市に避難してきた南相馬市小高地区の人と知り合い、甚大な津波被害を受けた上に、原発事故で緊急避難地区となった小高地区の現状を一人でも多くの人に知ってほしいとの願いから、申請書類の作成から、何から何までお世話になり、現地訪問が実現した。

 一時帰宅者の、警戒区域滞在時間が5時間以内、と決められていることから、早朝5時に流山を出発、常磐高速を使い富岡インターまで、途中休憩で飲み水を調達し約2時間30分、警戒区域に入るゲートとなっている「道の駅 ならは」「道の駅 ならは」で、白衣の防護服に着替え、各自に放射線積算カウンターの貸与を受けると、これから放射能に汚染された警戒区域に入るのだと、改めて実感するとともに緊張する。

 ただ、「道の駅ならは」はトイレ利用ができる程度で、売店も自動販売機も稼働していない(物販販売制限区域)。やはり飲料水を途中調達してきたことが大正解。

 8時15分、役場職員の誘導に従い二度、三度の確認と注意事項の説明を受けるが、みんな親切で「ご苦労さまです」「お気をつけて」と声をかけてくれる。でもマスクをしている人は2割程度で、やはり放射能に麻痺しているのではないかと心配する。

 5時間以内に入門したゲートに帰って来ないといけないことから、持ってきた3台の放射線測定カウンターのスイッチを入れ、早々に出発。<車内:0.25マイクロシーベルト>。

 富岡市内に入ったとたん2台のカウンターがピーピー鳴り出し、表示される数字が跳ね上がります。6号国道富岡市役所交差点<車内:2.03マイクロシーベルト>。桜の名所、夜の森交差点<車内:3.11マイクロシーベルト>。

 9時、大熊町に入る。
 ますますカウンターの数字が上がり<車内:3.87マイクロシーベルト>。
 右に福一原発の排気塔が見え隠れする国道6号<車内:12マイクロシーベルト>。
 双葉町に入る手前で最高値を示す<車内:15マイクロシーベルト>。
 双葉町山田地区走行中<車内:6.15〜15マイクロシーベルト>。
 低地で高くなり、登り坂の上では低くなる傾向がみられる。

 双葉町から左折し、浪江町の山側に向かう。原発から離れていくが、線量は低くならず、結構高い値を示し続ける。<車内:3.50〜12マイクロシーベルト>。道路を横断する牛

 里山に入り、常磐高速の真っ白いコンクリート橋が見えるが、通行止めで、走る車は見えない。その時、私たちの車の前を野生化した牛が3頭、5頭と道路を横断する。
 TVのニュースで見ていた光景と同じだ。ほとんどの田畑は茶色に枯れた雑草が生え茂っているが、野生化した牛が草を食べる田畑は雑草が伸びていなく、牧草地のようだ。

 今回お世話になった人の生家が、高速道路の橋脚のそばに建っているが、進入道路が陥没して車が入れない。現地確認は諦めて300m程の所から眺めるだけ。

 近くの民家では、洗濯物が干したままで放置されている、子供の服も干されたまま、当時は相当慌ただしく避難したことが伺える。でもあれから1年がたっても一度も家に帰っていないことが悲しい。

 山道に入り、道路が陥没しているところが非常に多く、ロープが張られたり、簡易的にガードされているが慎重な運転を要する。福一原発から10Km程度の山道でも、谷間で<車内:12〜25マイクロシーベルト>。高所で<車内:3.50〜8.00マイクロシーベルト>。

 「吉沢牧場」放牧牛の殺処分で話題になった「吉沢牧場」では、放牧された牛がゆったりと枯草を食べている。牧場入口には殺処分反対の立て看板や牛の頭蓋骨で作ったモニュメントがある。<地面:1.9〜2.1マイクロシーベルト>。

 今回の目的地である小高地区の実家に帰る。飼っていた猫の姿が見えない、置いておいた餌はなくなっているので、生きていると一安心する。
 家の周りには、フキノトウが芽吹いている中、先日降った雪が残っていた。屋根の瓦も無事で、石積みの塀の一部が壊れている程度、今日からでも住むことができる状態を保っているが、家の中はカビ臭く、長い間人が住んでいなかったことがわかる。

 庭先で作っていた家庭菜園も雑草が生え茂り、野菜のほとんどを自給していた菜園の面影はなくなっているが、雑草の中ニンニクだけが緑の芽を出していた。
 雨樋の流れ落ちる所の放射線量は高い。<地面:7.52マイクロシーベルト>。
 あと残り時間は2時間ちょっと、里山を下る途中民家の庭を走るサルを見つけた。ふつうこんなところでサルなんか見たことがなかったと、サルの食べ物が納屋に残されていることから、こんな街の近くまでサルが山から下りてきているのか。

常磐線小高駅近くのメインストリート地震で崩れ落ちた民家 常磐線小高駅近くのメインストリートに入ると、今まで見てきた光景が一変する。地震で崩れ落ちた民家が3.11当時の姿を留めている。傾いて今にも倒れそうな家が何軒もある。半年前に来た時より倒れている家が多いように思うと話す。

津波で押し流されてきた瓦礫と自動車  常磐線の高架橋にさしかかると、目前に津波で押し流されてきた瓦礫と自動車などが、海水は引いて湿地帯のようになっているが、当時の姿そのままで残されている。

 さらに進み、原町区の小沢と堤谷部落原町区の小沢と堤谷部落「ここには100戸を超える集落があったはず」というが、津波に押し流されて寸断された道路の海側に残されているのは集会所一棟のみ、全く人の住んでいた形跡すらない。
 高台まで打ち上げられた小型ボートを見ると、津波の高さは10mを超えていたのではないかと思われる。

 次に、松原を背景にきれいな海水浴場のあった村上地区へ、 比較的大きな家を持つ農家を中心に100戸近くが住んでいたそうだが、 村上地区瓦礫と自動車など海水に浸かった荒涼とした湿地帯があるだけ、温泉施設があった場所は建物の基礎すら確認できない。そして、湿地帯の中に瓦礫が集められているが、自衛隊や警察の皆さんが胸まで浸かりながら行方不明者を捜索した名残りだという。あちこちに集められた瓦礫の小山に旗が立てられている、捜索が終わったしるしだ。もう声も出ない、車の中から思わず手を合わせ、亡くなった人のご冥福を祈るとともに、行方不明者の一日も早い発見を祈るだけ。

 津波に押し流され、一階が柱だけになった家屋腹を見せた状態の自動車や農業機械がいたる所に放置され、一階が柱だけになった家屋がそのままの姿で、窓のカーテンだけが風に揺れている。

村上地区  村上地区では、道路に設置されていたはずのガードレールがすべてなくなり、湿地に落ちるのを恐れ道路の中央を走る。
 国道6号線に戻る交差点には、信号機の柱に絡みついたワゴン車と乗用車が無残な姿で放置されている。

信号機の柱に絡みついたワゴン車  あまりの悲惨な状況に、放射線量を記録することを忘れていた。それほど生々しく、悲惨な光景が震災後1年経っても残っていることにショックを受け、地震に津波を加え、原発事故という人も寄せ付けない現状に、当地の復旧・復興にはまだまだ長い時間がかかることを心配した。

福島第1原発の正面玄関ゲート  帰りに東電福島第1原発の正面玄関ゲートに寄ってきた。途中は30マイクロシーベルトを超える場所があったが、玄関ゲートでは1マイクロシーベルトを少し超える程度、ここは除染しているのではないかと思った。

 南相馬市小高地区から国道6号を、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町を通り、「道の駅ならは」に戻った。全行程4時間30分だった。
 貸与された積算線量カウンターは「8マイクロシーベルト」を示していた。
 これが、体にどのような影響を与えるのかわからないが、一時帰宅者でも20マイクロを超える人もいるとの話だった。

 今回、一時帰宅者に同行し警戒区域内を訪れるという機会を得たが、特に気付いたことを以下に要約する。

 1. 警戒区域内で、放射線量が車内計測でも20マイクロシーベルトを超える場所もあり、
    高濃度汚染地域でも放射線量が高い場所と低い場所が点在する。

 2. 特別な地域を除き、平地。市街地より、山間、里山の方が比較的高い放射線量を計測
    した。同じ地域では、高所より低地の方が高い値を示した。

 3. 「必要な時以外は車外に出ないこと」と強く注意されていた関係から、地表の放射線
    量の測定ができなかった。また写真も走行中のガラス越しの撮影となった。

 4. 震災・津波の被害は、南相馬市小高地区で最も悲惨な状況を呈しており、十分な取材
    ができないことから全国ニュースにならず、原発被害状況や避難民のみが大きく扱わ
    れている。

 5. 南相馬市小高地区では、瓦礫の撤去すら手が付けられず、3.11当時のまま放置されて
    いる現状をみると、原発事故の影響がどんなに悲惨で深刻か、小高地区の現状を取材
    し、報道することにより明らかにすべきである。

 6. ナンバープレートを付けた車が、駐車場や道路脇に普通に駐車して、町の日常を見て
    いるようだが、どの町にも歩く人は全く見られず、今回の行程で車外の人を見たの
    は、道路補修工事している人達以外、原町区で海が見える高台のお墓にお花を持って
    訪れた4人組みだけだった。

 7. 「道の駅ならは」の進入ゲートを抜けると、比較的自由に行動でき、警官とか警備員
    を見ることはなかった。非常に線量の高い所も、地震や津波で大きな被害を受けた地
    域にも自由に入ることができた。

 なにはともあれ、南相馬市小高地区は3.11以降時間が止まってしまっている。地震と津波の悲惨な被害が今もそのままの状態で残っている。そして、この地区での原発事故が大きく取り上げられるが、小高地区の状況はニュースに取り上げられることもなく、忘れ去られていることに「やりきれない気持」を持った。

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