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  10月24日(土曜日)、僕は、江戸後期の時代に実用的にもパズル的にも盛んに行われていた和算、その和算書を手に入れたのです。
  丁度、神保町での第56回神田古本まつりの2日目でした。おくら質の高い古本店、大野屋での手妻本(手品本)を買おうかと迷いなが ら、とりあえず店を出まし た。そして、歩道の車道側にずらりと並ぶタタミ2畳ほどの広さの古書販売出店での、ごった返す人の肩越しに、幸運な古書との出会いを求めて古書の群れを目 だけで追っていました。神田古本まつり1軒の出店の端っこに、和紙の古文書で、表紙ははがれ落ちそうで、題 名もなく、昔ながらの糸で縫い合わされた背表紙の、糸もほぐれ もう崩れそうな廃棄物に近い状態の古文書50冊ほどが無造作に積んでありました。誰もそれらを手に取って何の古文書なのかも確かめようとしていません。
  目だけで古文書を追っていた僕は、なにかに操られるように、独占的にその50冊を見たく、和算書古文書の前に陣取り仁王立ちに脚を踏ん張り、1冊ずつ手に取り紙 をめくっていき、14番目の冊子の表紙をめくりました。そこには、「和漢算法巻の二 算木縦横解」と江戸時代の文字で書かれていました。和算だ!とピンと きました。顔の神経がシビレかけています。次の紙には「算木正負の解」とあり、更には異形の形の面積の問題、まちがいない、この古文書は和算書だと確信し た時には、全身シビレました。和算の話は聞いたり、本で見たりして知ってはいましたが、和算書の実物を手に持ったことは無かったのです。
  算木の計算方法は、6mm角で長さ6cmの赤い棒が和算書「正の数」を、黒い棒が「負の数」を表し、紙や布の上の計算順序を示す表の上に並べて計算していました が、持ち歩くのに不便でした。そこで、紙の上の計算順序を示す表の中に、棒の代わりに縦線「I」と横線「−」を書いて計算するようになりました。1ケタを 縦線の数で、10ケタを横線の数で表わし、負の数は、斜めの線「\」で表しました。たとえば、負の数―5ならば「IIIII」に斜めの線「\」を重ねま す。算木は更に発展して、日本語文字の表現方法で高次の代数もできるようになっていきました。
  古本まつりに集まってくる人たちは、古本のバイキングに思い思いの楽しみを求め、柔らかい時間の流れの中に身を任せて漂い、古本を通じて昔の人と出会うの です。
  多くの古文書が滅していく中で、この古文書はどんな歴史をくぐって生きつづけてきたのだろうか、100年以上も生き抜いて、今、僕の手の中にある。という よりも、この古文書の手の中に、つかの間だけ僕が居ると言った方が正しいくらいに生命力がある古文書なのです。
  そして、僕は、和算書の手の中で江戸時代の人と仲間になって和算に向かっているのです。何人の人がこの和算書で遊んだことだろうか。この和算書で遊んだ人 たちが時代を超えて一堂に集まって、知恵比べをしたら面白いだろうな。江戸時代の解き方と現在の解き方が違うのだから。
  江戸時代の人と、いっしょになって江戸文字を読んで和算を遊んでみましょうよ。 この和算書の一部のコピーを附します。

付録::
  @ 和算に関する本
      明倫堂::各分野の科学・技術の古書が揃っている
      三省堂::現在版の和算に関する本が揃っている
  @ 和算研究会
      和算研究所 一関市博物館 毎年和算の1級2級3級の試験がある


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