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南谷 弘

渋澤芳雄先輩 旧丸善石油の研究所長であり、桜樹会の会員としても、大変ご尽力を頂きました渋澤先輩は、平成24年12月10日に心不全のため、逝去されました。享年90歳でした。突然の訃報に接し、驚きと悲しみの念を禁じえません。
 私が旧丸善石油に入社し、最初に赴任した下津中央研究所実用実験課の課長が渋澤先輩でした。実習が終わって、配属になったその次の日に、大量の英語の技術論文を"どさつ"と渡され、1週間で翻訳して持ってくるようにと言われたのです。専門用語が辞書を見てもさっぱり判らず、やっとの思いで持っていくと、また、"どさつ"と貰ってきて、次の週にも又渡されての連続でした。
 温和な人で、叱られたという記憶は全くありませんが、躾と教育には厳しい人でした。
 先輩は話術に大変長けておられたことは有名ですが、ユーザーさんとの共同研究の発表会の席上で、まずこちら側の代表として、挨拶をされるのですが、最初の挨拶に続けて、次から次ぎへと実験の過程から結果まで話されて、最後に詳細は担当から、と言って終わられるのです。担当の私は話をすることが無くて大変困ってしまうことが度々でありました。これも今となっては懐かしく思い出されます。
 先輩はしばらく研究所を離れておられましたが、昭和49年に研究所長として戻ってこられました。相変わらず趣味のゴルフと、愛煙の嗜好は健在でした。研究所のゴルフ大会は大いに盛り上がり、所員のゴルフ人口も随分と増えたようです。
 忘れられないのはその頃から、禁煙の習慣が一般化しつつあったのです。安全衛生委員会の席上でした。いつものように委員長の渋澤所長は"タバコ"を燻らせておられました。委員の私が「これからは会議の席では禁煙としては如何でしょうか」と提案したところ即座に「バカなことを言うな」と一喝されました。
 渋澤先輩は終生"タバコ"をこよなく愛された人でした。今頃は天国でたばこを楽しまれておられることと思います。謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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