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   日本人3教授によるノーベル物理学賞受賞のニュースは北欧の旅から帰国して3日後の事でした。この嬉しい出来事は私共にとって念願だった北欧旅行の総仕上げをしてくれたように思えて、二重の意味で大変驚き、興奮しました。
  リタイア後とは言え日々の生活に追われていると10日程の空白を作るのにも少し苦労を要します。双方元気なうちにと9月下旬からのツアーに参加しました。夏のベストシーズンのラッシュが一息ついたこともあり、始まりかけた紅葉を愛でながらのゆったり旅を楽しみました。そして、行く先々で期待以上の感動を味わいましたので、その一端を記します。

 旅したのは、デンマーク,ノルウエー、スウエーデン地図そしてフィンランドのいわゆる北欧4か国で、主として、コペンハーゲン、オスロ、ベルゲン、ストックホルム、およびヘルシンキの各都市を訪問した。(右地図を参照)
成田から約9時間かけてヘルシンキへ直行し、ここを4国のゲートウェイとして、即、地図中の矢印順に移動(国内移動相当)し、コペンハーゲン市をスタートに最後ヘルシンキ市に戻り、観光して帰国の途についた。(正味8日間の旅)

  特に印象に残ったサイトスポットは後述することにして、先ず、一般にバイキングを祖とする高福祉・高負担の福祉国家という程度でしか知らない北欧4か国の国柄等を、現地日本人ガイドの説明を基に仄聞する。
  4か国の人口と面積を見ると、デンマーク:550万人、4万平方キロメートル、ノルウェー:470万人、38万平方キロメートル、スウェーデン:940万人、45万平方キロメートルそしてフィンランド:530万人、34万平方キロメートル、全体で、我が国の約1/4の人口に満たないながら、全面積は約2倍である。北海道(550万人、8.5万平方キロメートル)が一国を成しているのである。北欧4か国の現在の繁栄を見るときこのレベルが一国家の最適規模なのかもしれない。そこにはゆったりした空気が流れていた。
  北欧の文化、特にデンマークの街並みや建物装飾などは他のヨーロッパ諸国と似て見えるが、やはり大きく異なる。スカンジナビア地域内でも嘗て国家間の争いが絶えず、支配したり、されたりが頻繁に繰り返されたことにもよろう。先般英国でのスコットランド独立騒動要因にもその類似性を見る。風景は特異で素晴らしく、どの街も清潔で非常に美しかった。食事はやはり海の幸を取り入れた料理が一般的なようだ。薄味なので美味しく食した。水道水も飲めた。治安も日本ほどではないが良く、観光地では付きもののしつこい土産売りにも全く悩ませられることがなかった。なんといっても、常にオードリヘプパーン様美人が往来を行き来しているのだからそれは大いに目の保養になる。幼稚園児達もまさしく棚に飾る西洋人形だ。
  驚いたのは物価が非常に高いことである。国によって若干差があるようだが、所得や預金利息等には30%所得税、物品には25%以上の消費税が掛けられている。我が国における10%消費税議論は現地人には理解不能のようだった。この高税負担が350tビール一本700〜1000円、150tペット水が300〜500円という我々にとって驚天動地の高物価を惹起していよう。加えて旅行中大変頭を悩ませたのがお金の処理である。通貨が4か国皆異なり基本的に一国のお金はその国内でしか使えないのだ。フィンランドのみがEU加盟済みなのでユーロ使用可だが他は自国のクローネのみ。必要準備金を見当つけて用意したが予想外の物価高もあって、1〜2日の滞在で全てを上手く使い切るには相当の苦労が要った。
  当然のことながらこの高い税金が比類のない女性の社会進出などが看板である福祉国家を支えている。授業料は大学卒業まで無料、医療費や葬祭費も貧富の差なく不要だそうだ。ただ最近は、離婚率の増加、減らない自殺者、核家族化などが問題化しつつあると聞いた。しかし、30代男性の平均年収は約800万円で諸税金を支払った後のそれは370〜500万円とのこと。我が国のその年代では税込ほぼ420万円なので、税を引くと370万円を下回るかもしれない。彼らは実に豊かなのである。それは4か国が共通して持つ福祉や介護等の公共サービス産業のほかに夫々芯となる産業を持っているからだろう。デンマークは酪農、ノルウェーは北海油田ベースの鉱業、スウェーデンは自動車や医薬品産業、フィンランドでは情報通信産業などである。4か国とも住みやすい国のトップ10にランクされる背景と言えよう。

  ではこれから素晴らしかった観光スポットのほんの一部だが、それらを観ていく。拙い写真を添えた。
$ 人魚姫コペンハーゲンは何と言ってもアンデルセンの国。彼は該市生まれではないが、市庁舎の脇に銅像が立っている。有名な「人魚姫」の像は運河東の海岸にあった。足先がフィレ状の僅か1m程のどうと言うこともない像であるが、複雑な謂れを持つようだ。この像の制作を指示したのがはるか対岸に構えるビール会社の社長だそうだが、何故彼はこの像を自社の前の海に設置しなかったのだろうか。会社の宣伝になるのにと下衆の勘繰りをした。
 市庁舎前の道を東にとり世界初の歩行者天国である 港町「ストロイエ」に入って、途中にあるロイヤルコペンハーゲン本店で目の保養をし、先にある「ニューハウン地区」に着いた。
  17世紀に造られた運河状の長い波止場が陸に深く切り込んだ港街(右写真)で、かつて世界中から集まってきた船舶で大いに賑わったそうだ。両岸にはレストランが並んだ非常に美しい趣満杯の地区。写真正面のアパートにアンデルセンが住んでいたとのこと。

$ オスロまではコペンハーゲンから36,000トンの客船DFDCシーウエイズに乗り、約17時間かけて移動して、ノルウエーに入った。途中、船窓から海上に整然と並んだ50基ほどの風車群・ウインドファーム(風力発電所)を見た。
ムンクの叫び 左写真がかの有名なエドワルド・ムンクの「叫び」である。ノルウェー最大の国立美術館にある「ムンクの部屋」の中央に懸けられていた。二人の邪魔者が「叫び」を占有できたのは、この時期を選んで観光に来た最大の成果の一つである。従来は見学者が多すぎるので、写真撮りの許可が下りないばかりか、画の近くにも寄れない状況とのこと。貴重な思い出の1枚を撮ることが出来、誠にラッキーだった。
  フログネル公園市街見物中「フログネル公園」を訪れた。広大で綺麗な憩いの場であるが、何とも奇妙な彫刻が数多く設置されているのには驚いた。(右写真)ヴィーゲランという彫刻家が生涯かけて造ったもので、生活の一部を刻み込んだ人体彫像群は人の一生を表現しているとのこと。中央の塔(人間の塔)には100人以上の老若男女が、下部に老人達上へ行くに従って若者、先端には幼児達が、複雑に絡み合った姿態で配されていた。妙な感銘を受けた。

$ フィヨルド観光はオスロから約350km西寄りのその日の宿泊地であるハダンゲルフ美しい虹ィヨルド地区を起点にスタートした。フィヨルド観光船へは例の「フロム山岳鉄道」のターミナル駅フロムから乗ったのだが、この山岳鉄道の景観にも強く惹かれた。雄大な渓谷を縫って走るその車窓からの眺めはまさに壮観だ。途中のヒョース滝での停車、カメラスポットでの徐行サービスは嬉しかった。フィヨルドは水深1308mで204kmの世界最長奥行きを持つ「ソグネフィヨルド」と観光写真でよく見る鏡海面の支流を進んで、それらフィヨルドの予期以上の素晴らしさを満喫した。左上の写真はフィヨルドに発生した実に美しい虹を撮ったのだが、そうは見えませんかな。
  ただ、この時初めて虹の起点から終点までの7色からなる綺麗な半円弧を見た。
  左下の写真は宿泊ホテルから眺めたフィヨルド。実はこのホテルかなり由緒があるのだ。ノルウエーの代表的作曲家グリーグが“ペールギュント組曲”を作曲したのがこのホテルの裏小屋とのこと。左下写真はその小屋も入れて撮った積りだったが、遠すぎましたな。

追伸、フィヨルドの生成は氷河移動説が一般的だが、マントルの活動をも考慮した異説もあるようである。
ブリッゲン地域$ ベルゲンがノルウェー最後の観光都市。スカンジナビア半島の南西で北海に面した港町。古くはハンザ同盟の拠点都市として発展、干ダラの貿易で繁栄して19世紀まで北欧最大の色彩豊かな街であった。往時の港湾都市を偲ばせる「ブリッゲン地域」が右写真である。木造の中世建築物が並ぶ。皆ユネスコ文化遺産で現在朽ちかけた土台部分の改修工事中であった。湾奥の広場には立派な建屋に入った魚市場があり、市民の用を満たしている。周辺に魚介類の残渣や生臭さなど一切なく綺麗に管理されているのには感心した。

$ スウェ青の間ーデンのストックホルムでは是非ともノーベル賞関連サイトを観てみたいと思っていた。黄金の間
 「市庁舎」の一階に「青の間」(左写真)、二階に「黄金の間」(右写真)というホールがあり、前者でノーベル賞受賞の晩餐会が、後者で舞踏会が開かれる。授賞式そのものは少し離れたコンサートホールが会場。意外であった。てっきりノーベル賞専用の施設が有るのだろうと思っていたので。しかし、今回受賞された赤松、天野、中村の3先生方より先んじてノーベル賞の臭いを嗅いできたぞ!と、家内と顔を見合わせてニンマリしているこの頃である。
ノーベル博物館  この左の写真は別な所にある「ノーベル博物館」の中の風景で、ここに歴代受賞者が顕彰されている。館内に入ってすぐ左に喫茶コーナーがあり、なんとそこに置かれた木製椅子の裏側には受賞者の直筆サインがなされているのである。喫茶コーナー壁に大鏡があってその前上部に、これまた何故か山中伸弥先生が自署された椅子が一基だけ掲げられていたのには驚いた。山中先生もお土産にされたと聞くノーベル賞メダルを象ったチョコレートを始め各種のノーベルグッズもここで販売していた。

$ ヘルシンキ(フィンランド)が本旅の最終見学地であルター派の教会る。
  ヘルシンキはいろんな文化色を持つ大変美しい街だった。長年のスウェーデン支配に代わってロシアの占拠が始まった19世紀にできた歴史を持つ若い街であることに由来するのだろう。右写真の建物はルター派の教会である「ヘルシンキ大聖堂」で、この街のランドマークとなっている。教会の前はロシア皇帝アレクサンドル2世の像が建つ広大な広場の「元老院広場」、テンペリアウキオ教会の内部現在市民の憩いの場となっている。
  左の写真は「テンペリアウキオ教会」の内部。これもルター派の教会だが、大変珍しい建物(?)なのだ。元々ここにあった岩山を上から掘り込み、出来たドーム型の屋根にガラスを張った天井を持つ実に変わった造形物で、別名ロックチャーチと呼ばれているとのこと。華麗な装飾などは一切ないが天窓から降り注ぐ光がむき出しの岩を照らして、不思議な厳かさを感じた。
かもめ食堂 現地ガイドの計らいで当初の観光予定になかった「かもめ食堂」を訪れた。5年程前日本国内で話題を呼んだ映画「かもめ食堂」の舞台である。小さなカフェレストランだが人気のようでこの日地元客で賑わっていた。映画ではおにぎりに代わって新発売したシナモンロールが店の窮地を救ったが、まだ販売していたのかな?確認し忘れた。

  長くなりましたが、最後まで読んで頂き有難うございました。これで私の「北欧の旅」を完とします。

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