福井行正

 桜樹会の皆様こんにちは。ご無沙汰しております。私は1961年から24年間大協石油で、1985年から10年間コスモ石油に勤務しましたが、いずれも研究畑に従事し、最後の職場は、6年間幸手でのコスモ総合研究所と4年間千葉県土気における石油産業活性化センター(PEC)で勤務致しました。
 10年間の単身赴任生活の内、幸手の研究所では、会社の独身寮に住まわせてもらいながら、分析業務を通して研究開発の発展に寄与しましたが、当時大量の依頼分析をこなすために分析機器の自動化を進め、さらに採取したデータの処理をLANによって迅速報告するようシステム化したことは当時のニーズにマッチしたものでした。この一連の仕事に「全自動アスファルテン試験器」の開発がありますが、これが石油学会から技術進歩賞が与えられたことはご承知のことと存じます。
春になれば、権現堂の桜を愛で、又ある時は中川の堤防に向かってゴルフのアイアンを振り回し、秋の運動会では汗を流し、冬には幸手寮の屋上に立って雪に輝く富士山を眺めたことが懐かしく思い出されます。
 長期間四日市に家族を残して来ただけに、退職後早々に四日市の自宅へ帰ってしまいましたが、後から追っかけてきたのは、本社海外協力部からJICA(海外協力事業団)専門家派遣の要請でした。
 国内の仕事もあったのですが、発展途上国の環境改善に協力することも面白いと思い、要請を受けて、ブラジルのサンパウロでは産業廃棄物処理技術、中東の小王国バハレーンでは医療廃棄物処理基準の作成、エジプトのカイロでは、ナイル河の水質維持のための分析技術移転等足かけ3年に亘って外国で働きました。 海外の生活では現地の人たちと親しく交流し、公私にわたって接触することが大切で、これによって仕事をうまく進めることが出来ました。
 特に中東のイスラム教国では、日本と生活習慣と物の考え方が違うので、日本人のやり方を押しつけるだけでは仕事が捗りません。このため仕事を進めるに当たっては、彼等の生活文化に合わせて進めてゆくことが必要になります。そうでもしなければこちらが精神的ストレスのため胃潰瘍か脳梗塞で倒れてしまいかねません。私にとってこれら途上国での生活はいずれも忘れがたい体験の連続でしたが、今回はその一つを紹介したいと思います。
 先程ご紹介したバハレーンでの技術協力の件について、通常海外協力事業団(JICA)の専門家は、JICA本部の技術協力指導書に則って業務計画案を作り、これを現地の担当部署と討議してから、実行に移して行くものですが、私が現地環境庁の担当者から要請された最初の業務は、JICAが目論んでいた「産業廃棄物の実態調査と処理技術の指導」とは異なる「医療廃棄物の処理基準」の作成でした。 JICAの技術協力指導書には医療の「医」の字も無いので、専門外の要求は受け入れられないと突っぱねたのですが、現地環境庁ではこれが第一優先項目であり、これが達成したらいわゆる産業廃棄物の処理技術へ移って欲しいとのことでした。
 当局は医療廃棄物と産業廃棄物の区別がつかないのかと腹が立って、これは私の専門ではないと言って帰国しようかと思いましたが、わざわざ中東の端までやってきて無為に帰国するのも情けない話だと思い、気を取り直し、日本をはじめとして世界各国の文献、資料を集め、一から勉強を始めました。
 バハレーンでは、一、二の大病院が医療廃棄物処理の専用焼却炉を持っているものの、中小病院からの廃棄物を請負処理しなければならないため能力不足になっています。また取扱基準が確立していないので、手術で切除された臓器がいい加減な容器で移送されるために、道路や焼却炉付近に血液が漏洩することがしばしばあり、業者がこれを水道水で洗い流している有様ですから、不潔極まりありません。 伝染病患者の廃棄物でもあれば病気が蔓延するのは当たり前でしょう。
 その後、各地の病院を訪問して実態調査をし、各国の文献資料を調べて小王国バハレーンの実情に合った基準を選び、約8ヶ月かけて「廃棄物の分別」「容器の基準」「移送の基準」「焼却の基準」および「マニフェストシステム」等、医療廃棄物の取扱基準を作成し、"Standards for the Treatment of Clinical Waste" として提出しました。勿論この原案ついては、保健省の担当者と数回に亘って討議を重ねたことはいうまでもありません。

 
    右端が福井行正氏

 JICA専門家がしばしば任地で専門外の仕事まで押しつけられることがあると聞いてはいましたが,まさか自分がその身になろうとは夢にも思っていなかっただけに最初はショックでした。
 あれから約10年経過しましたが、基準の制定と実行がどうなっているか知りたいものです。 中東の民は、総じて苛酷な自然環境で生活しておりますが、性急なところがなく悠々と過ごしており、あまり厳密なところがないのでかえってつきあいやすい面もあります。
 さて、現在の生活はと問われると、もう10年前とは縁のない生活を送っています。現役時代はろくに近所つきあいが出来なかったので、今は地域社会に溶け込んで、自治会の役員を引き受け、地域の環境改善と活性化に努めています。またお寺の信徒総代も務めていますが、何かと行事日程が重なって不義理が多くなるのがまた悩みの種です。

 
 後列右から3番目が福井行正氏


 定年退職後は趣味の世界に埋没して静かな生活を送ろうと思っていましたが、どっこい"その手は桑名の焼き蛤"と家に静かに居させてはくれず、毎日忙しく飛び回っております。
 昨秋、三重県シニアテニス連盟からの派遣団に合流して、三泊四日で韓国テグー市の日韓交流テニス大会に参加して来ました。韓国のシニアテニスも結構盛んで競技人口が多く、生活水準が高くなってきたことを思わせます。大変手厚い歓迎を受けて毎晩歓迎会を開いてくれました。
 都市としてはソウル、プサンに次いで人口250万人の韓国第三位の都市であり、町並みも清潔で国産車の「現代」が大多数ですが、日本車を含め、BMW,BENZ, V.W., GM,FORD,RENAULT,OPELなど各国の車も走っていました。送り迎えしてくれた選手の車は我々と比べて結構高級車だったのには驚きました。まあ特別選んだものかも知れませんが。それにしても約20年前韓国観光旅行した時と比べ経済の発展には眼を見張るものがあります。
 日本も長年の不況を脱したかのように株価が高騰しておりますが、この景気もどれほど続くのでしょうか? 政府の財政赤字が年々増え続けるようではあまり期待出来ません。財政改革のための消費税増税や年金削減には今後十分注意を払わねばと思っています。それでは桜樹会の皆様の一層のご健康を祈念致します。(筆者によれば「バーレーン」よりは「バハレーン」の方が発音に近く正しい表現とのことです) 以上
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