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 合唱との出会いは高校時代に遡る。当時地元で活動していた合唱サークルに入り、一人ではできないハーモニーの響きに魅了され、歌った曲が男声合唱の「希望の島」、、風呂の中で唄う鼻歌の響きは誰もが経験する心地よさであるが、高音,低音他人の力を借りるハーモニーは一度経験すると虜になる。
 入社して間もないころ、中央研究所の所長室から昼休みに聞こえてくるコーラスの響き、合唱に思い入れの深い大岩所長が昼食後の僅かな時間を割いて、同好者を集めて唄っている仲間に入れてもらったのが会社生活での合唱の始まりである。
 当時、研究所は大学のグリークラブでの経験者が多く、人数の集まりも比較的容易なことから、そのうちに井上氏が主導して、男声合唱に取り組みはじめた。曲目はグリークラブアルバムの中から比較的安易なもの、「遥かな友に」「婆やのお家」「柳河」「いざ起て戦人よ」「Standchen」等、さらに当時は現在のようにコピー機がない時代、ガリ版刷りの楽譜をもとに再度ガリ版を興し、印刷したもので「秋の日暮」、「筑波山麓合唱団」などは懐かしい思い出の曲である。これらは半世紀経った今でも男声合唱の定番として唄われ続けている。
 一方、下津製油所の中に研究所があったため、製油所本館での混声合唱の練習も担当職場から多くの同好が集まり、産業人合唱コンテストを目指して練習に励んだ。
 合唱界の大御所、林雄一郎先生がわざわざ下津まで来ていただき、ご指導いただいた。
 下津製油所だけの人数ではバランスがとれず、大阪本社のコーラス部と合同でコンクールに出場、藤田氏指揮する「きれいな花よ」の自由曲で見事、関西代表になり、東京文京公会堂での全国大会に出場したのはよい思い出。新幹線はまだ開通していなく、夜行列車で下津から上京した頃が懐かしい。 S.39.5.31 岸和田市民会館
 男声合唱も下津製油所単独で大阪フェスティバルホールでのコンクールに出場、毛利氏指揮のもと「梅雨の晴れ間」を大舞台で唄った。
 その頃、社歌が制定され、大木敦夫作詩、山田耕筰作曲「♪青空高き望みよ、幹あり枝は寄りて立てり・・・♪」この縁で山田耕筰氏が下津製油所に来られ、御前で社歌を唄い、今から思えば、怖いもの知らず、よくも大先生の前で唄ったものだと赤面の至りである。
 さらに、大阪箕面に宇宙の宮が建てられ、大阪本社と合同で朝比奈隆指揮、関西交響楽団による「美しき碧きドナウ」を合唱付きでドーム内で唄ったが、大指揮者のリハーサルなしの演奏に、戸惑いと歌詞を暗譜するのに苦労した思い出がある。
 研究所が幸手に移ってからは、今度は千葉製油所との合コンが始まり、「蔵王讃歌」「最上川舟歌」等の演奏の思い出がある。
 合唱は団体での活動であり、メンタルハーモニーが大事とはいえ、個人ではどうすることもできない悩みがある。会社では職場の転勤はつきもの(懐かしの写真N0.2参照)、次第に団員も分かれていくと同時に、社会も高度成長期のうねり、合唱ばかりでない楽しみ方が多様化し、カラオケが脚光を浴びる時代に入った。

そして今
 定年を迎え、余生を楽しむ一つに再び合唱に取り組みはじめた。半世紀前の取組み方と現在では、内容が少し変わってきている。
 半世紀前はロマンへの憧れ、現在は後期高齢者入りをまじかに控え、健康重視、体力の維持とボケ防止に寄与できるものとしての合唱である。
 すなわち、@腹式呼吸の発声による内臓への刺激、A楽譜を暗譜するための脳の活性化、最近、Aはなかなか脳内に歩留まらず、覚えたあとからすぐ忘れていく有様である。
 それでも、同好者と歌う喜びは計り知れない。同好者もまた過去に合唱を経験した同年輩の人が多く、意気投合、アフターコーラスへと流れることもしばしば。
 地元にある混声合唱団"コーロ・フィオーレ"に入団し、団員30名ばかりであるが、オペラ歌手の指揮者の指導で歌の奥深さを堪能している。昨年、彩の国さいたま芸術劇場において5周年記念コンサートを開き、東大宮男声合唱団を新たに結成し、男声合唱も含め、全26曲を暗譜で唄った。
 そして今秋も、毎年開催され、今年で39回を迎える「さいたま市民音楽祭おおみや」に出演する予定で毎週金曜日、夜の練習に励んでいる。 出井一朗
 男声合唱は、多田武彦作曲、男声合唱組曲「雨」より雨、東日本大震災の被災地を励ますために「斉太郎節」を唄うことになっている。
 参考までに雨の作詩者「八木重吉」の歌詞を紹介

  雨の音が聞こえる 雨が降っていたのだ
  あの音のように そっと世のために働いていよう
  雨があがるように 静かに死んでゆこう

 作曲の多田武彦さんは「雨」について今後つらいことにぶつかった時にも私を慰め「そっと世のために働く」ことを私にささやくことであろうし、私の死ぬ瞬間にも静かに死んでゆける鎮魂歌となるであろうと、おっしゃっています。あやかりたいものです。                           平成23年10月  


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